京都造形芸術大学の名称変更問題について -怒りの理由を考える-
こんにちは。
やまです。
京都造形大関係の記事がめちゃくちゃ伸びててびっくりしてます。
https://sameyaki2201.hatenablog.jp/entry/2019/08/31/083651
https://sameyaki2201.hatenablog.jp/entry/2019/09/01/233527
このブログは、今までもこれからも、あくまでも世迷言ですので、よろしくお願いします。 今は何も音沙汰がないですが、もしも訴えられた時のための予防線です。
京都市立芸術大学が京都造形芸術大学に対して訴状を提出したことに対して、京造側の理事長がコメントを出したようです。↓
https://www.kyoto-art.ac.jp/news/info/470
訴状を出したことで理事長がようやく出てきたというのがなんとも情けないというか、頼りない感じがしますね。
コメントをざっくりまとめると、「話し合いしようって言ってるのに。いきなり訴えるなんてひどい。訴状はまだ届いてないし、向こう(京都市芸)が何考えてるかわかんない。法的には僕達悪く無いもん。」って感じですかね。
コメントには学生が反対の声をあげている事に対しての言葉が何も書いていないあたり、学生に対してひとかけらの感情も無いのでしょうね。分かってはいた事ですが、やはり悲しいですね。
さて今回の内容は、今までの問題提起からちょっと離れて、京都造形芸術大学の名称変更について、京都市芸術大学側だけでなく、在学生がというより、なぜ自分が怒ったのかを書いてみようと思います。
正直言って自分語りです。
今までのような問題提起や告発のような内容を期待する方や事実だけ知りたい方は読まなくていい内容です。
それでも読もうと思った方へ。できるだけ冷静に書こうと考えていますが、時折感情的になって読み難い部分があるかもしれません。ご了承ください。
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この部分は前置きです。
結論だけ読みたい方は黒字まで読み飛ばしてください。長文ですが。
現在こそ、京都造形芸術大学という京都府に所在がある大学に通っていますが、私の出身地は京都ではありません。京都駅からJRで2時間と高速バスで1時間半、さらにバスで30分程度の所にある閉鎖的になりきれない片田舎です。
小学校時代はあまり記憶がないのですが、あまり良い思い出がありません。ずっと星新一や江戸川乱歩などの本を読んでいたくらいしか覚えがないです。あとは掃除用ロッカーに閉じ込められるとか。中学校ではほとんど持ち上がりで、学校唯一の文化部である吹奏楽部に所属していました。吹奏楽部では紆余曲折ありましたが、中学最後のコンクールで燃え尽きてしまいました。地区銀賞でしたが、他の学校の生徒や教師から金賞だろうと言われていたそうです。銀賞だったのは担当していた顧問が新任だったかららしいです。
閑話休題。
地元から抜け出したくて、高等専門学校(通称:高専)を受験して、落ちました。仕方なく地元では治安の良い方と言われる高校に入りました。高校は偏差値で分類されるということもあり(嫌な人もいましたが)それなりに楽しい生活だったと思います。デッサンも何もできませんでしたが、雰囲気がよさそうだった美術部に入りました。
美術部に入った後、進路について考えるようになり、芸術、特に本の装丁に関わりたいと考えていました。漫画を描いていた先輩が京造に行っている事を知りました。オープンキャンパスに行って、入学前のカリキュラムがしっかりしており、入学後もきちんとしていそうだと思い、京造に行こうと決めました。
半分嘘です。
本当は地元の人間のほとんどいない、誰も私の小中学校時代を知らない(いじめる人のいない)全くの新天地へ行きたかったのです。高校の離任式に行かなかったのは単に忘れてたからですが。
親に土下座して頼み込んで、(とても高額な)学費と一人暮らしの一部費用、その他の費用を出してもらえる事になりました。夏のAO入試で落ちてしまい、諦めきれず秋のAO入試を受験して合格しました。
一年生の頃は、ねぶた制作をしたり、今は無きSFXクラブでフィギュア製作をしたり、麻雀部に入って麻雀を覚えたりしました。(この年にSFXクラブはなくなってしまいました。)本の装丁も楽しかったですが、映像制作やモーショングラフィックス制作に初めて触れ、映像を仕事にしたいと考えはじめました。
二年生からは何かしら制作してばかりいました。学祭で企画販売をしたり、映像を作ったりもしていました。ちょっと体調を崩すことが多くなりました。ちょっと長い風邪だと思ってました。
三年生からはポートフォリオ制作や進路の為の活動でとても忙しく、精神的に辛かったり、体調を崩したりすることが増えました。お酒はほとんど飲まないのに、起きることができないことが増えました。麻雀部に行く事はなくなり、現在では辞めた事になっているのではないかと思います。
後期には、不眠症と鬱のような症状が出て、ほとんどの授業に行けなくなりました。カウンセリングを受けたかったのですが、予約がいっぱいで思い立った日に行く事はできず、とても悩みました。
ようやく決心がつき、予約の末に大学内の相談室でカウンセリングを受けました。奇しくもその日は21回目の誕生日でした。何度かカウンセリングを重ねましたが、メンタルと体調は日々悪化して行きます。精神科の学校医とのカウンセリングを提案され、病院へ行く事も提案されました。悩んだ挙句、病院へ行きました。
現在、四年生ですが、不眠症と鬱のような症状は続いており、通院と投薬治療、たまのカウンセリングを受けています。たまに元気があると、希死念慮が強くなります。今の状況でタヒぬといろんな人に迷惑がかかるので、まだタヒねません。朝に起きられず、生活も単位もギリギリですが、授業を受けつつ就職活動と卒業制作をしています。
メンタルが不安定で自分すら信じられない事もある中で、柱となっていたのが大学の存在です。趣味はいくつかあるのですが、支えになるほど強くはないです。依存とも言えるかもしれません。でも、大学生は大学を支えにしているものではないでしょうか。
多くの社会人も自分の属する会社に生殺与奪が握られている為に依存せざるを得ないと思うのです。でももしかしたら収入の為がほとんどで、はやく辞めたいと考える方が多いのかもしれません。それでも会社に属する社会人であれば(多分、学生よりは比較的簡単に)別の場所に心の安定を求めたり、転職で足場を変える事ができると思うのです。
未だに内定を得ていない自分には大学以外の支えや足場となるものが無いのです。
以前、一つの物事に依存しすぎず、いくつかのできる事、手段を持っていることが重要という話を聞きました。自分も依存しきらないように、いくつかの手段として、授業の他に、部活動や大学外での制作活動を行っていました。しかし、メンタルの不調によって、授業に行くことが精一杯になりました。メンタルを立て直そうとしている所に京造の名称変更問題が起きます。
精神的に支えとしていた、在籍する大学自体が揺らぐとは、通常なら思ってもいないわけで。
基盤が揺らぐとどうなるか。地震の際の本の山が崩れるように、積み上げられたものは崩れます。
自分の場合、大学に対する信頼や在学中に積み重ねてきたことが信用できなくなったり、大学に対する批判に対する申し訳なさで消えてしまいたくなりました。
批判する側が悪いとは言いません。京都造形芸術大学が批判されるのは当然だと思います。しかし、批判されるべきなのは上層部だけだと思います。教職員に関してはわかりませんが、学生のほとんどが、後期授業開始前に、名称変更を決定事項として、事後報告されたのですから。
閑話休題。
名称変更問題や芸大に関して全くの門外漢の方にとっては、ただの小競り合いだろうと思われるかもしれません。しかし、今まで「京造」という場所で育ったアイデンティティや大学に対する帰属意識、それなりに関心を持っていた「自分」にとってはとてつもなく大きな問題だったのです。
他の在校生や卒業生が名称変更問題からメンタルがぶれるほど影響を受けているかはわかりませんが、問題になるという事は所属する(していた)大学に対してそれなりに誇りや関心などの好意を持っていたという事なのでしょう。
世迷言をここまで読んでいただき、ありがとうございました。
何かあればコメントにお書きください。
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またも読まなくていい世迷言です。言葉遣いが緩めです。
まず、このブログを始めた理由です。
一つ目は一番最初の記事(https://sameyaki2201.hatenablog.jp/entry/2019/08/31/083651)で述べた通り、京都造形芸術大学の名称変更についてツイートしようと思ったら、文字数がものすごいことになったので、ブログにした方が読みやすいだろうという考えからです。そして、Twitterのタイムラインを埋め尽くすと迷惑だろう、と考えたからでもあります。
二つ目に、「ブログ」という形式であれば、Twitterでの愚痴とは違い、どこにあるのか目に見える形であれば何かの助けになるだろうという考えがあったからです。こんなに広がるとは思いませんでしたが。
このブログ自体は匿名ではありますが、リンクを貼っているTwitterアカウントは、情報の閲覧、および現実に出会ってTwitterで繋がった人と連絡を取れるようにすることが主目的です。その気になれば特定も不可能ではないと思います。嘘です特定怖いんでやめてください。
本名ではなく、匿名でブログを書いている理由は、主に「悪意のある個人」や「京都造芸大の上層部による悪意」によって現実生活を妨害されないためです。あってほしくは無いですが、退学させられる事や、就活に必要な書類をもらえない事が無いとは言えないので。もし起きたらアカハラですけど。正直、京都市芸大側との訴訟を終えた後の京造上層部の動きが全く予想できないので、無いとも言い切れないのが恐ろしいですね。
また、現在も就活中の身なので、もしも「就活する予定の企業にこのブログが特定されたら」恐ろしいからというのもあります。獅子身中の虫というか、こんな形の告発を世迷言としてブログにする人間を採用したいと思うような企業さんはそんなにいないでしょう。多分。
あとは、今まで「現実に影響するような特定をされた個人がどうなったか」という先例を見てきたからでもあります。某漫画家さんとか、某Youtuberさんとか、某ニコ生主さんとか。先人は偉大ですね。
三つ目は筆記開示です。筆記開示というのは、ひたすら感情や考えなどを思うままに書く事で、トラウマの回復を目的とした心理療法の一つ、らしいです。トラウマというほどでも無いのですが、名称変更問題が起きてからうまく眠れなかったので、それくらいには影響があったのだと思います。
参考文献↓
https://www.youtube.com/watch?v=DQwoWrysJZM
↑ブログを始める一因になったメンタリストDaiGoさんの動画。話題は京アニについてですが、途中で筆記開示について触れられています。
https://evidencebasedworking.blogspot.com/2018/08/blog-post_22.html
↑が筆記開示について触れられている方のブログです。元になった論文も示されてます。
病院で勧められたとかでは無いです。自分で調べて勝手に始めただけです。影響されやすいタチなもので。ミーハーですみません。
一応論文も調べて見たのですが、英語読めない人間な事と、日本語の論文が国会図書館でしか読めないものが多かったので、論文が引用されているブログを読んで終わらせました。
筆記開示は毎日やるのがいいらしいですが、そこまで元気がないので、毎日更新はできずにいます。また、内容を公開する必要は無いようですが、誰かが共感したり、問題提起や問題解決の手助けになったりすればいいかと思って、ブログという形で公開することにしています。
スマホを手に入れてからはメモ帳にひたすら愚痴を書いていたのですが、閉じ込めておくと、メモ帳を開いた時にいちいちしんどくなってしまうので、外部に保存する形にしたのもあります。
今まではTwitterもその役割だったのですが、文字数が多すぎるとTL埋め尽くしちゃうのでブログの方がいい事に気付きました…。
基本的にこのブログの方針としては、ぼちぼちやる感じで。
京造の名称変更問題について、最初はnoteに書こうと思ってたんですが、noteの仕様がよくわからなかった事と、初めに書いていた文章がただの乱文だったので、ブログサイトであり、UIがわかりやすそうで、ユーザーの多いはてなブログにしました。小説とか書くようならnoteを使う事もあるかもしれません。今の所は予定は無いですが。
最初に書いたようにブログの内容は、世迷言なので鵜呑みにしないでください。庇う訳ではありませんが、四年生として居る事もあり、それなりに情はあるので。もしかしたら学生が知りようの無い「何か」があったのかもしれませんし。あくまでも京造の一側面、個人の考え、世迷言として見ていただくのが良いです。
もし京造から訴えられたらどうしましょうかね。卒業できなかったとかアカハラとかなら訴えようがあるんですけど、名誉毀損と一般的に知られていない罪とかで訴えられたら、学生ごときにはどうしようもないですから。就職ができなかった最終手段としては旅にでも出ましょうかね。このブログを旅ブログにしたりして、なんて。
Hahaha.
はあ、笑えませんね。
こんな初めたばかりかつ匿名で、本当かどうかもわからない、世迷言ばかりの木っ端のブログなんて誰も興味ないだろうなー、まあ、改名問題が片付いた頃に誰かが読めばいいかなー、と思ってたんですが。想定より反響ありすぎて(5日間で合計6000PV以上)。嬉しいような悲しいような、自分の所属する大学がこんな事で有名になって欲しくなかったような、そんな感じです。
ネットって怖いですね。
こんなところまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
京都造形芸術大学の名称変更問題について -検討会と今後どうするべきか-
こんにちは。
前回の記事をたくさんの方に読んでいただけたようで嬉しく思います。
読みにくい文章だったのに、本当にありがとうございます。
今回もあくまで今後読み返すための備忘録が目的なので読みづらいです。悪しからず。
京都市立芸術大学や京都市長からの文書やSNSでの批判、ニュースになったこと、署名活動等によって、紆余曲折ありましたが「グランドデザイン2030についての対話及び検討会」が行われることが決まりました。
在学生向けサイトにて、下の記事が本日(9月1日)投稿されました。
https://www.kyoto-art.ac.jp/student/life/news/190901-3280/
話し合いの場が9月8日と9月12日に開かれるようです。
通学部と通信課程に在籍する在学生のみしか入れず、申し込みをしないと参加できないというのが、(会場の確保の為だと思いますが)問題因子は把握しておこうという感じがしないこともないですね。ディストピア好きの思考。
”お問い合わせ”以外で意見を伝えて、直接返答をもらう機会はここしかないかと思われます。
ただ、前回の記事にコメントをいただいて、おかしい部分に気がついたんです。
この検討会、大学側の参加者が副学長、学部長、学科長を含めた教職員とあるんです。
テレビで偉そうに話していた学長がいない、というのもあるんですが、今回深く関わっているであろう瓜生山学園の運営である理事長、徳山豊氏やその他の理事が出てきていないんです。
理事長は式典というか、入学式でしかみたことないです。調べるまで名前も覚えてませんでした。前理事長の実子らしいですね。
前理事長で、学園長だった故・徳山詳直氏は、現理事長と比べたら大学内で話題になりやすいです。前理事長モチーフのストラップがガチャガチャとして売ってるくらいですし。
閑話休題。
京都市立芸術大学では理事長がコメントを出しているのに、京都造形芸術大学側は学長がコメントをするだけで、理事長は全く表に出てこないのです。
おかしいですよね。このような場では大学や法人内で一番偉い人が出てきて然るべきだと思うのですが。
しかも、8月27日に初めて知ったという教職員もいる中で検討会を行うというのです。今度の検討会で教職員らに意見を伝えても「意見をありがとうございました」程度で理事会には何も伝わらず、名称変更自体も変わらない可能性もあります。
というか、記事中に「略称などについて」とあることから、京都造形芸術大学側は問題点が略称だけだと考えているかも知れません。たくさんの人が大学の名称変更自体が問題だと言っているのに。
大学側はいつもは事後報告ばかりなのになぜ今回は話し合う気になったんでしょう?
話し合う、というよりはただ向こうが一方的に言い分を話して終わるかも知れません。4時間も時間を取っている以上、そんなことはあってはならないと思いますが。
あと、これはただの妄想なんですが、今回の議事録が残らない、または改変されて表に出る、ということもあり得ますよね。もしもの場合に備えて、撮影や録音はしておいて損はないと思います。普通はやましいことがなければ公表されたって痛くも痒くもないわけですし。
とにかく、今後やるべきことは理事長や理事を交渉の場に引っ張り出すことです。
最終的に大学の名称変更を取りやめさせることが肝要です。
誰が提案したのかわかりませんが、たかだか30年記念でようやく慣れた名前を変更するなんて馬鹿げています。
あと、学費の使い方について(特に滝、名称変更など)の詳しい情報が開示されたら最高ですね。
しかし、現在の大学の方針を見る限り、最悪の場合も考えないといけません。本当に意見を聞くだけ聞いて何もしないとか、理事長が出てこないとか。
そうなった場合は…学生運動に発展しても仕方ないのかも知れません。犯罪にならない程度に。近くに京大もあるわけですし、やり方を教えてもらうのもいいですね。
なんて。冗談ですよ。半分は。
現実的には京都市立芸術大学側から裁判を起こされるでしょうね。どうやっても表に出ない理事長が出てくるとしたらそこでしょう。裁判所から呼び出されたら行かないといけませんから。学費が使われるのは惜しいですが、悪いことしたら償わないといけませんからね。別の手段で学生に還元されればいいと思います。人数限定でアイス配るとかじゃなくて。
現状では外見や入学者集めにばかりお金を使われているように思われてなりません。
設立者である故・徳山詳直氏の遺志である「教育への強い思い」はどこに行ってしまったんでしょうね。
理事長をはじめとする偉い人たちは、もっと学生と向き合ってほしいものです。
まだまだ署名活動を行っているようなので、前回に引き続きリンクを貼っておきます。
よかったらご協力ください。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
何かあればコメントにお書きください。
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ここからは世迷言です。言いたいことをだらだら書いてます。
在学生の心配をしてくださった方々、本当にありがとうございます。
誤解があったらいけないと思うので、四年目を過ごしている人間として補足をしておきます。大学の全体的なカリキュラムとしてはどうなんだろうと思う部分も多いですが、専門的な科目はちゃんとしてるところが多いですよ。デザインの考え方とか、ソフトの扱い方なども実践的に教えてもらえますし。他大学の講義を受けたことがないので比較はできないですが。
大変申し訳なく思うのですが、この記事を書いている私は検討会に参加できないかもしれません。怖いからとか圧力とかではないです。就活です。大学の今後も非常に重要ですが、自分の人生も大事なので。内定をください。
検討会に参加される方へ。メモだけでなく、是非レコーダーやカメラを持って行ってください。最悪スマホで録音とかでもいいです。もしもに備えて一人だけでなく、何人かで。長丁場になるので充電は十分に。流れが早いと記録は大変ですし、記録したものを文字起こしすれば来られなかった人も何が起きたのかわかりますから。記録はダメって言われた場合に録音をしても法的には問題ないようです。音楽などとは違うので。もし向こうが議事録を出した時に、「言った」「言わない」の間違いがあれば証拠としても提示できますし。
話し合いには学外秘もあるだろって思われるかも知れませんが、学生が知れる秘密なんてたかが知れてます。学生やOB、関係者が知る分には問題ないのではないかと思います。もしネットに載せるならそういうところは編集すべきですけど。自分に言ってもらえたら規制音かけたり編集したりくらいはするのでTwitterあたりで声かけてください。
そういえば、滝を見てきました。夏なので涼しかったですけど、冬場は人が寄り付かなさそうですね。ただのおしゃれな噴水もどきに学費かかってるのかと思うとちょっと嫌な気分でした。
もし、京都造形芸術大学の学生を応援したいという方がいれば、9月14、15日(土日)に行われる学祭にきてください。そこで学生が商品を出している店で買い物をしてください。企画の制度が変わってなければそこでの利益は制作した学生に全て還元されるはずです。私も情デshopという学科のところで物売ってます。これも学生に全部還元されます。
在学生へ。学祭ボイコットを考えた人もいるかもしれませんが、たかが数十人がボイコットしたところで影響は少ないです。千人単位だとわかりませんが。オープンキャンパスも兼ねているので高校生も多く来場するはずですし、ねぶたを見に来た地域の方々や遠方からいらっしゃる方、親御さん、以前講義に来た講師の方もいらっしゃるでしょう。どうせ何かやるなら大学側の制度に乗っかって利益を得た方が建設的ですし、経済も回ると思うんですよね。フードコロシアムのあたりはわからないですけど、個人企画での販売とかは出店料もなかったはずです(食品系はレンタル業者からの経費がかかりますけど)。あって困るものでもないですし、どうせなら稼いで制作に使えるお金増やしましょう。
検討会ではレコーダーとかカメラ持って行ったほうがいいですよ。文字起こしすれば来られなかった人も何が起きたのかわかりますし。もし向こうが議事録を出した時に間違った事があれば証拠として提示できますし。
今のところ言いたいことは以上です。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
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追記です。でもこれらは改名問題に本当に全く関係ない、余談というより雑談です。
読まなくても何も問題ないです。むしろ読まないで。
毎年春とか秋とかに大学周辺で選挙活動とか政治的なビラ配ってる人たちがいたんですよね。大学内には入ってきませんでしたけど、館内まで声が響くのでうるさいし鬱陶しかったです。朝の混雑が酷くなるし、疲れてる時は頭に響くし。私学でも一応「神聖な学び舎」である場に政治を持ち込むのはやめてほしいですよね。右派だろうが左派だろうが。そういえば、前回で触れた水道橋博士が出てきた「百科学」という授業でも、一部の講師がなんとなく左翼っぽい事言ってたんですよね。政治的な話が混じってる時には右とも左ともいえない無難な感想書いて出しましたけど。某製缶会社の社長さんの話とかは興味深かったんです、普通に。
芸術大学ってことを鑑みれば、アートが反体制や政治的主張のために作られることもあるので”理解は”できるんです。だけど、芸術の根本って人を幸せにするとか、見た人を考えさせる事だと思うんですよ。デザインなんかは特に、人々をより快適に、幸せにしたい面が強いのです。
何が言いたいのかというと、教育の場で政治に触れるなら、教える側が公平性を欠いてはいけないんじゃない?ってだけです。理事に政治家がいるらしいので無理でしょうけど。現実で愚痴るわけにもいかないので、ここで吐き出します。この辺についても偉い人に質問してみたいけど、まあ難しいでしょうなぁ。
京都造形芸術大学の名称変更問題について -在学生の視点から-
はじめまして。
京都造形芸術大学某デザイン科4年生の「やま」と申します。
ブログを書くのは初めてなので読みづらいかもしれません。
この記事は京都造形芸術大学の在学生の視点から現状をまとめたものです。
Twitterで思うところを呟こうとメモをしてしたら、3000字を超えるほどになったので、ブログにまとめて書くことにしました。
また、あくまでも在学生の目線から書いたものなので、読みづらかったり意見が偏ったりしていると思います。あくまでも一個人の意見である、と思って読んでいただければと。
京都造形芸術大学(京造、造形大)とは、
2020年4月から京都芸術大学に改名しようとして、京都市立芸術大学や京都市長などから批判(というか真っ当な意見)を受けており、ニュースになっている大学です。
これ↓が問題になっている京都造形芸術大学の広報です。
https://www.kyoto-art.ac.jp/news/info/467
これ↓が上に対しての京都市立芸術大学(京芸、京都市芸)の理事長のコメント。
https://www.kcua.ac.jp/20190830_comment/
上の二つをまとめると、
京都造形芸術大学側:『開学30周年を記念して、「造形芸術」の枠を超えて「藝術立国」実現の為に「京都芸術大学」に改名するよ。略称は「京芸」「京都芸大」ではなく、「瓜芸」「KUA」だよ。言うまでもないことだけど、「京都市立芸術大学」さんとは違う大学だからね!それから、今後は付属高校の展開とか、音楽やエンターテイメント、テクノロジー領域などに力を入れていくからよろしくね!』
京都市立芸術大学側:『京都造形芸術大学が「京都芸術大学」に改名するのは本学の名称や略称と同じか酷似しているから、在学生や受験生、卒業生をはじめとする地域の人たちなど幅広い人に混乱を招くことになるから考え直せって抗議したのに。再三やめてほしいと伝えたのに、8月27日に名称変更を発表されて困惑している。考え直して。』
ついでに、京都市長からのコメントはこれです。
https://www.city.kyoto.lg.jp/gyozai/page/0000256990.html
まあ、これらに関しては大人(上層部の人たち)の話し合いが一方的に反故にされたのが8月27日になって広報として表に出た、という事じゃないかと思います。
一個人としては、大学間の”大人のやりとり”は学生が手出しできない事なので、どうしようもないです。京造には学生会などはあるにはありますが、学長などの上層部の大人と話し合いをする場は特になく、偉い人が決めたことを事後連絡的に伝達されることが多いのです。Twitterを見る限りだと、卒業生の方が昔と変わっていないと呟かれているので、その辺の体質は昔と変化ないようですが。
この名称変更によって、たかが30周年の若い大学が、日本初の画学校を前身とする歴史ある大学との混同を狙っているのではないかと思われてなりません。在学生である私でもそう考えてしまうのですから、外部の方からすれば、乗っ取り狙いだろうと考える方もいることでしょう。注釈の部分とか京芸と混同されることがわかりきっているのに、なぜ非常に似た名前にしたんでしょうか。名前って区別するためのもので、既存のものと区別できるようにするのが当たり前のことだと思うのです。特に、教育機関などの公共の利益を目的とする機関であればなおさら。
というか略称や通称って周囲がつけるものですよね。こちらからこう呼べっていうのは違う気がします。
正直、大学に対して怒っています。
怒っている理由はいくつかありますが、この件について、自分が一番怒っているのは大学の名称変更についての連絡が『事後報告だったこと』です。
大学の名称変更って結構様々な物事に影響することだと思うんですよ。所属する在学生や教職員だけでなく、卒業生やその就職先、大学に求人票を出している企業、提携している姉妹校、産学協同プロジェクトに関わる企業など、数え上げてもキリがないくらい。
名称変更をするのであれば、それこそ一年以上前から学生や教職員にヒアリングやアンケートをとって、改名が噂になるくらい話題にして盛り上げていく事が普通であり、建設的なのではないか?とも思います。公募の形にしていれば、通学部だけで13学科23コースという大所帯の大学ですから、既存の大学と類似することなく「藝術立国」を象徴する名前を誰かが出していたかもしれません。
閑話休題。
私は名称変更の件を大学からのメールで知りました。8月27日に。事前のアンケートやヒアリングもありませんでした。まさに青天の霹靂としか言いようがなかったのです。
この件について、在学生や卒業生だけでなく、教職員も知らなかったらしいのです。こんな超重要事項が変更の約8ヶ月前に連絡されたことが大学への不信感を募らせているのです。
おかしくないですか?書類やシステムの関係上、一年以上前から準備のために伝達されるべき事のはずなのに。
例をあげるなら、元号の改変。これがギリギリだったために、書類やシステムなどの調整で大変な思いをしたのは記憶に新しい事です。
また、受験生への影響も考えられます。京造はAO入試という制度をとっているため、大学受験が始まっています。すでに合格した受験生がいるとの情報もあります。合格した学生や受験を考えている学生からすれば、大きく混乱する原因になりかねません。高校生からすれば、高校にどこの大学に行くと伝えれば良いのかわからなくなるでしょう。
卒業生も同様です。今まで履歴書に「京都造形芸術大学 卒業」と書いていたのに、(言葉は悪いですが)たかだか30周年の記念で、大学の都合によって、他大学と混同される恐れのある名前を書くことを余儀なくされるのです。正直勘弁してほしいです。また、以前は「芸短大」だったのが「京造」に変わったのに、また変わるのかという意見もSNSで見受けられました。
そもそも大学名を変更するメリットは何でしょうか。京都市芸には130年の歴史がありますが、京造は京造で「京造ねぶた」や「京都芸術劇場」、「劇団四季ミュージカル『キャッツ』舞台美術制作プロジェクト」などの活動から、関西の芸大としてはそこそこの知名度はあるはずです。京造の学生だから一緒にプロジェクトをしたいと言っていただける方もいます。大学名を既存の大学と酷似した名称に変更するということは、それまでに積み上げて来た信頼や歴史、知名度をなかったことにする事ではないでしょうか。
こういう京芸との揉め事によって、揉め事を起こすような大学に行くのはやめようと考える層がいてもおかしくないと思うんです。特に大学進学という就職に直結する場所を選ぶ上で、不安要素を排除しておきたい層は一定数いるでしょう。それによって大学への入学希望者が減少しかねないのです。そこに少子化も加わり、入学希望者が減ってしまうと、いくつかのコースや学科はなくなってしまうかもしれません。果ては大学そのものが消える可能性すらあります。
次に、略称としてあげられている「KUA」について。これは”Kyoto University of the Arts”の略称のようなんですが、私はこれがあまり好ましいと思えません。京都市芸の英名は”Kyoto City University of Arts”(略称は「KCUA」)です。英語で大学名を言われた時に、”City”の一単語の有無で大学が全く別のものになってしまうのです。こんなのどちらの大学にとっても不利益しかないと思います。
また、今までの英語での略称は「KUAD」だったんですよ。”Kyoto University of Art and Design”の略称です。某デザイン科に所属する身としては、デザイン及びデザイン科が軽んじられているとしか思えません。大学内も階段が多い割にスロープが少なかったりと、ユニバーサルデザインが充実しているとは言い難いですし。情報デザイン学科クロステックコースの専用教室がないらしいという噂も聞きます。もう少し、内部設備の充実を図って欲しいと思います。
最後に、音楽やエンターテイメント、テクノロジー領域に力を入れるという話について。京造は”芸術大学”ではありますが、2019年現在音楽に関する学科はありません。エンターテイメントに関しては、舞台芸術学科と映画学科、マンガ学科、キャラクターデザイン学科などがあります。テクノロジー領域について現状大きく関わるのは、先にあげたクロステックコースとプロダクトデザイン学科ですかね。現在でさえ移動中の混雑が激しい程人が多いのに、これ以上人を増やしてどうしたいのでしょうか。
今は力を入れている最中の過渡期だからなのかもしれませんが、大学側はもう少し中身にも力を入れてほしいものです。
長文を読んでいただき、ありがとうございました。
名称変更について反対の署名運動をされている方がいたので貼っておきます。
全く知らない人ですが、在学生のようなので。よかったらご協力ください。
コメント等もありましたらお書き下さい。
※一番下に追記があります。
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ここからは完全に個人の意見です。ブログのタイトル通り、世迷言です。見ても見なくてもいい話です。ちょっと辛辣な表現もあります。
さて。造形大の学費って結構高いんですよ。学科にもよりますが、多分年間約160万ちょっとくらい。割と無理して学費を払ってもらっています。入学前は、工房の設備使い放題で、いい講師や面白いカリキュラム、産学連携プロジェクトがあって、学生価格で良い機材が買えるのならしょうがないかと思っていたんですが。
入学してから、工房を自由に使えるようにするためにはお金を払って講習を受ける必要があることを知りました。講師やカリキュラムは人によります。すげー先生もいますが、普通の先生もいます。ピンキリです。産学連携プロジェクトをやるかどうかも人によります。私は体調を崩しやすかったので、京造ねぶた制作の時にプロジェクトに継続して参加するのは難しいと思ったので諦めました。また、学生価格といってもあんまり安くないし(定価の20%オフ程度)、売ってるものが偏ってます。絵の具などは充実してますが、機材の種類は豊富ではないです。授業直前にマウスやUSBなどのメディアが必要になったら買う程度がいいです。普段使うものを買うなら電気屋さんか専門店で買う方が容量を選べるし質の良いものが買えるはずです。また、探している材料がない、ちょっと違うという時は、取り寄せをしてもらえたり、こういうものがここで売ってるって教えてくれる店員さんもいます。精神的に辛くなったらスクールカウンセラーの所に行くと良いです。でも予約は早めに取らないとすぐにいっぱいになります。動けなくなる前に、おかしいなと思ったらすぐに予約を入れましょう。経験者からの忠告です。
なんか大学紹介になっちゃいましたね。閑話休題。
どうやらその高い学費で滝を作ったらしいんですよ。”らしい”っていうのは、その「学費の滝」がある望天館に行ってないからなんですが。Twitterに上がってる写真を見た限り、本当なんだろうな、と。Twitterで「学費の滝」と調べてもらえれば、どういうことかなんとなーく理解をしていただけるのではないかと思います。
大学の名称を変更する為に一体どのくらいのお金が使われたんでしょうね?学園の所有する資産を使った、なんてことはないと思うんですよ。それも元は誰かが納入した学費ですし。
別の話をしましょうか。
三年前くらいですかね。浅草キッドの水道橋博士という方が大学に講義に来たことがありました。漫談仕立ての講義でもしてくれるのかと思いきや、講義とは名ばかりの「昔はワルだった、昔はよかった、昔はこうだった」など正直誰が聞いてて楽しいのかわからない、聞いていて面白くないオナニー的な自慢をお話されただけでした。つまらない話に「つまらない」と書いて評価を落とされてはたまらないと思い、話の上澄みのきれいな部分だけをすくいとって水で薄めたような感想を書いて提出しましたが。大学側はこのために一体いくら支払ったんでしょうね?過去の栄光や昔話を聞くために大学に来たわけではなく、あくまで今まで知らなかった新しいことを学ぶために来たんですが。芸能人を呼ぶより、人工知能の研究をする人を呼んで、AIとアートについての今後を熱く語ってもらう方が私としてはよっぽど興味深く聞いていられると思うのですがね。これは個人の趣味も大きいのですが。
上にも書きましたけど、正直コースを増やすとか、名称を変えるとか、芸能人を呼ぶとか、滝を作るみたいなハリボテ外見を綺麗にするよりも、学内の階段の一部でもスロープやエスカレーターに置き換えるとか、ユニバーサルデザインを充実させるとか、古い機材や故障している備品を新しいものに変えるとか、足りてない機材や備品を充実させるとか、印刷機を増やすとか、学生がミーティングなどで自由に使える教室を作るとか、昼食時に座れる場所を増やすとか、学生や教職員がもっと快適に過ごせるようにお金を使って欲しいものです。
そういえば学費を何に使ったのかって調べる方法ないですかね?普通の大学だとどうなんでしょうか。その辺りが明確なら「学費の滝」なんて揶揄されることもないと思うんですが。いや、今までそういう書類やデータをもらった覚えがないもので。
高い学費(リスク)を払ってる割には恩恵(リターン)と思えるものが少ないんですよ。芸能人はあまり知らないし、自分が中心に学んで制作しているのがグラフィックデザインやモーショングラフィックスなどの、パソコン上で完結できるものなので工房もほぼ使う機会がない。そもそもパソコンは支給品ではなく、大学推奨のものを買っただけ。京造ねぶた制作に使う道具も原則は個人購入(先輩と仲良くなれれば譲ってもらえるかもしれない)。泊まり込みで作業することは禁止されているため午後9時(10時かも)くらいには追い出される。印刷機は古いためによく線が入って刷り直しせざるを得ないので、A3サイズで印刷する必要がなければ自宅のプリンタで印刷する方が効率的。4年生になると学食もあんまり行くことがない。3DCG関係の講義は定員いっぱいでやりたくても入れず、Webコーディングの講義も定員いっぱいで同様に入れず。
2Dより3Dができる方がもてはやされるこのご時世に、3D関係の講義が希望者全員履修可ではなく定員制っておかしくないですか。その講義を受けている人にどういうソフトを使っているのかを聞く事しかできず、現在(自費で)教本を買って勉強しています。Webコーディングもどうしても勉強したくて、本職の人に勉強の仕方を教えてもらって、独学でHTMLをなんとか使えるくらいにはなりました。
ただ、独学はかなり大変で、講義形式で順序立てて教えてもらった方が頭に入るし、時間が無駄にならず、さらに単位も取れるんですよ。その方が確実に恩恵があるじゃないですか。あと、勉強したいことができないってかなりストレスなんですよ。他にも要因はありますけど、胃は荒れるし不眠症になるし。
また話がそれてしまいました。閑話休題。
”京都造形芸術大学であることによるメリット”があんまりないんです。学食が安いとか、購買で少し安く物が買えるとか、他大学でも同様だと思うんです。大学生協に入っている大学なら3DCGに関する技術書をネット通販より簡単に手に入れられるかもしれません。少なくとも、普通の大学は学費で滝を作るようなことはしないでしょう。メリットと言えば工房の設備がちょっといいって事と一部の博物館や美術館に割安で入場できる事、就職支援がちゃんとしてる事くらいですかね。他大学の就職支援についてはどうなのかわかりませんけど。工房はモーショングラフィックスだと、卒業制作の展示台を自作するくらいでしか使う機会がないですけど。
そもそも、略称として「瓜芸」ってどうなんでしょう。多分「京芸」関連の言葉が商標申請されたために、法人名の「瓜生山学園」からとったんだろうと思いますが、それなら大学名を「瓜生山芸術学園大学」とかにすればいいんじゃないですかね?何で”京都”が必要なんでしょう。藝術立国を掲げるなら、京都というブランドはいずれ不要になるのではないかと思うのですが。
正直、名称変更の件といい、会田誠氏の公開講座の件といい、よくないことで有名になるのはやめてほしいんですよね。その件について知らない、関係のない在学生や卒業生などに大きく影響するんですから。
もしかして上層部のお偉方は現代がネット社会であることや世間の潮流を理解できていらっしゃらないのではないですかね。副学長の本間正人氏がSNSで仰っている”最新学習歴の更新”ができていないのでは?”最新学習歴の更新”は現在進行形で学習中の学生に学ばせるよりも、椅子の上で踏ん反り返っている上層部に学ばせた方が社会のためになりそうなものですが。
まあ、副学長の方々は今回の名称変更に携わっていない可能性もありますけどね。
そういえば、学長先生ってお忙しいのかあんまり表舞台に出てこないんですよね。私の代の入学式では祝辞を代理の方が読んでいらっしゃるだけで、お見かけすることはありませんでした。毎年行われる学祭の時も、本間先生や同じく副学長の小山薫堂氏などはよくお見かけするんですけど。まあ、権力はあるけど学生に愛着がないから名称変更を事後報告なんて所業ができるのかもしれませんが。
これはただの妄想なんですが、もしかして上層部はタチの悪い経営コンサルタントに大学の名称変更をすれば儲かるとか言われてるんですかね?炎上商法は積み上げてきた信頼を失うから、大学経営という信頼が根幹にある長期的なビジネスにとって、悪手であるとは考えなかったでしょうか。
あと、これはあんまり考えたくなかったのですけど、瓜生山学園の上層部にとって、我々学生はただの金ヅルなのではないか?と思われてならないのです。何に使われているのかわからないのに、カリキュラムとは釣り合わなそうな高額な学費とか…。私立の大学経営が慈善事業ではない事はわかっていますが、それなら顧客の支払う対価にあったサービスを提供すべきではないかと。。ゲフンゲフン
これ以上書くと、自分がとてつもなく嫌な組織の下で学んでいるという被害妄想のような自己嫌悪に襲われるのでやめておきます。大学から注意を受ける可能性もなくはないので。
長々と失礼しました。
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文章を書いている最中に京都造形芸術大学の学長、尾池和夫氏のコメントが投稿されていました。
https://www.kyoto-art.ac.jp/news/info/468
違う。そうじゃない。京都市芸の理事長や京都市長は「藝術立国」を理解できないから意見を言ってるわけじゃない。
現状でさえ間違えられるのに、名称を既存のものに近いものに変えるなんてややこしいことをするなという話をしているんだ。
やはり、権力を持つと周りが見えなくなるものなのでしょうか。。。